日記・コラム・つぶやき

2013年12月27日 (金)

カシオペイアという名のお掃除ロボット



iRobot社のお掃除ロボットのルンバを購入してから、もうすぐで一年になる。



埃で死ぬわけでもなし、掃除機かけるのってそんなに大変でもない。自分には高すぎる買い物だ。以前はそう思っていた。



だが、私のビョーキがいつまでたっても治らないことから(回復傾向にはあるのだけれど…)、道具に頼れることは道具に頼ることにしたんだ。



---



購入して、ルンバに掃除をお願いするようになってからわかったことだが、うちの家はゴミが多い。毎日、ルンバのダストボックスにはたくさんのゴミが集まる。畳に布団を敷いて寝ていること、子どもたちの食べかすや遊んだ後の紙くずなどが原因だ。



ルンバは、かわいいかわいいときいていたが、本当にかわいい。文句も云わずに、健気に、くるくると周りながら、せっせと床を掃除する。掃除が終わると一人でおうちに帰って、自分で充電する。たまに、充電がうまくできてなくて、お腹を空かせて行き倒れている時もある。



だいたい「iRobot社のロボット」というだけでわくわくするじゃないか。アシモフの「われはロボット」の世界がやってきたってね! いつでも未来はいつの間にかここに来ているんだ。ルンバは、ロボット三原則(人間への安全性、命令への服従、自己防衛)に矛盾した動きをすると壊れてしまうに違いない。もしそうなったら、私がキャルヴィン博士になって、ルンバを治してあげなければならない。



---



ルンバを持っている人から名前を付けると愛着がわくと聞いた。うちのルンバには、「カシオペイア」と名付けた。いつか「モモ」に出てくる亀の名前だ。時間どろぼうに時間を奪われるかもしれないから。リスク管理の一環として。



上の娘に「いざという時にはマイスターホラのところに連れていってくれるように、ルンバに『カシオペイア』とつけたよ」と意気揚々と話したら、「おかあさん、なに夢見がちなことを言っているの?」と冷たく言われた。最近、上の娘は、私に言動に対してクールな反応をするようになってきた。



---



いつの頃からか、下の2歳の娘はルンバと呼ばれるようになった。



一カ所でくるくるとまわる、壁に自分からぶつかっていく、大きな段差には注意できるのに小さな段差につまづいて泣く、はいつくばってゴミを集めてくれる、丸っこいなど、下の娘はルンバによく似ている。



そのため、便宜上、本物のルンバはカシオルンバと呼ぶことになった。光画部では野球のバットを粉砕バットと呼ぶようなものだ。



そんなわけで、わが家では今日も、小さい子どものルンバとカシオペイアという名のルンバがくるくると家の中を動き回っている。


| | コメント (0)

2013年8月 9日 (金)

人形になる夢をみた

少し前に、「助けて」「助けて」と叫びながら目をさました。大変キモかったよ☆彡

- - - -

私は人造人間になった。
人造人間になる前、私は普通の人間だった。
私は人間だった頃、
私は、ある部屋で赤ちゃんを育てている。部屋には私と赤ちゃんの二人きり。穏やかで平和な時間が流れる。
10年ぐらいたって、赤ちゃんはすくすくと育ち、少女になった。
ある日、ふとした拍子に人造人間の私は壊れて動かなくなってしまった。
そこで、意識が急に少女に切り替わる。
あぁ、そうだった。
人造人間はとうの昔に壊れていて、私は一人二役で人造人間の役もしていたんだった。
私はこの部屋から出ないといけない。
でも、どうやって?この部屋からでたことがないのに。
そこで、とりあえず、ベランダから外で歩いている人に向かって「助けて」って叫んでみた。
最初は人造人間の声で。でも、声が小さくて、誰も気づいてくれない。
だから、次は地声で「助けて」って叫んだ。そこで、私は目を覚ました。
 
- - - -
叫びながら目を覚ますというのは、今回が初めてじゃなくて、何回もやっている。
最初の「助けて」は人造人間の声だから高い声で、二回目は普通の声で叫んでいた。
家族たちは、私の寝言を大変気持ち悪がっていたよ。てへぺろ☆(・ω<)

| | コメント (0)

2013年7月17日 (水)

パンダ系男子を提唱したい

先日、先輩の結婚式に参加させていただいた。
二人とも婚礼衣装がよく似合っていて、お伽噺に出てくる花嫁花婿のようで大変かわいらしかった。
その結婚式での新郎側のスピーチで、「新郎は外側は草食、中身は肉食のロールキャベツ男子で…」という話があった。
えっ。でも、ロールキャベツって食べるほうじゃなくて、食べられるほうじゃん。ロールキャベツじゃ雑食性の豚とかにおいしく食べられちゃう。比喩として不適切なのではないかと気になった。
そこで、代わりに、一般的に草食動物だと思われているけれど、肉も食べれるパンダ系男子というのを提唱したいと思う。
パンダは元は肉食で、消化器官なども肉食のままなので、うまく笹を消化できないらしい。
パンダは、動物園で笹がないときには餌として肉を与えられたこともあるらしい。
それに、少し前に家畜の子羊を襲って食べていたというニュースもみた
見た目はとてもかわいらしくて、普段は笹食べているのに実は肉も食べれるというのにも比喩として適切な気がする。
ということで、「パンダ系男子」という言葉を提唱したいと思いますので、ぜひ結婚式のスピーチなどにお使いくださいませ。
■参考
パンダフルライフ(ドキュメンタリー) 

| | コメント (0)

2013年6月 7日 (金)

今さらながら女子力の話

 大阪ボランティア協会が発行している市民活動総合情報誌Voloの特集「もっと、女子力」を読んで、初めて女子力について納得した。

 市民活動をしている人が挙げている女子力はこんなの。
  • 遠くから「わーっ」と手を振って挨拶する
  • (非常時に)とりあえずご飯を炊いておにぎりを作る
  • 「わからないよ」と不安を吐露し、分かち合える
  • 警戒心を解かせて、相手の懐に入っていくのが上手い
  • 暮らしの視点、とりあえず目の前のことからスタートする
  • 自分の立場や実績にこだわることなく、全体がうまくいけばいいという発想"
 女子力というのは、"みんなにあればいいし本質的にみんなが持っているが、現時点で女性の方が発揮しやすいし、発揮できている部分"。
 化粧など他人にどのように自分の外見を見せたいかだけだと、面倒くさいなあと思ってしまうし、そんなものはどうでもいいなあと思っていたのだけれど、上記のような女子力はほしい。
- - - -
 女性はその社会的な立場から、組織や立場といったものから比較的自由という特質をもっている人が多い。
 それは、不利益になることも多いけれど、すごく自由で動きやすいというメリットも多い。
 女子力って、老人力と同じように、自分たちの特質を肯定的にとらえようという言葉として使っていくのがいいように思う。
 そんなわけで、男性がおしつけてくる(あるいは男性視線を意識している押し付けられる)女子力なんかはお断りだったりする。
(1年以上前に書いて下書きにいれたままだった。今さら「女子力?」という感じではあるけれど、自分の思ったことは外に積極的に出していこうと思う今日この頃です)

| | コメント (0)

2012年11月22日 (木)

ケアの空気

少し前に、『体の贈り物』(レベッカ・ブラウン著)を読んだ。

エイズの末期患者とホームケアワーカーの物語。
エイズの末期患者は基本的にケアを受ける側なのだけど、ケアワーカーの主人公に何らかの「贈りもの」をしようとすること、できるだけ自立した生活をおくろうとしている様子が抑制のきいた文章で書かれている。

コニーおばあさんのメープルシロップにまつわる家族のエピソードなど、取り立ててドラマチックなことではないのだけど、一人一人にとってはかけがえのない事柄が丁寧に書かれているのがよかった。

題材はエイズ患者のケアであるが、物語の底に人生の尊厳を諦めないという明るい希望があるから、読んでいて暖かな気持ちになった。

- - - -

ちょうど『体の贈り物』を読んだ直後に、おばが亡くなった。私の母の四つ年上の姉にあたる人だ。

おばは気丈な人で、無駄な延命はしないで欲しいと常日頃から言っていたらしい。最初に酸素吸入機を付けられた時、自分の手で払いのけたそうだ。
でも、私がお見舞いに行った頃には、払いのける力もなくなっていて、呼吸器を付けられるがままになっていた。

おばの旦那さんは「本人が苦しまないようにいかせてやりたい。酸素吸入機を付けないと苦しいだろう」と、握り返してこない手を強く握りしめながら言っていた。

おばはとても元気な人だった。阪神大震災の時も、炊き出しボランティアのために走り回っていた。あちこち旅行していたともきく。母と一緒に旅行しても、じっとしている時間がほとんどなかったのだとか。
だから、病気のためにガリガリに痩せて、意識のない表情で横たわっている彼女は、見知らぬ人のようだった。
おばの体にはさまざまな機器が取り付けられ、それぞれがさまざまな数値を示していた。

私が病室に入ってから数十分が経過した頃、ある数値が危険な領域になった。おばの娘さん(私の従姉妹)は急いで、ナースコールを押した。

病室にいる家族や親戚たちは、沈痛な面持ちで病院のスタッフが来るのを待った。
従姉妹と私の母だけは、おばの顔をタオルでふいたり、かいがいしくケアをしていた。
私は、何もすることができず、混乱した気持ちで、ただただ座っていた。

ナースコールが押されてから数分たって、看護師さんと介護スタッフの方がやってきた。
介護スタッフの方は、場違いともいえる大きな明るい声で、「○○さん!聞えますか!○○さん!がんばって!」と繰り返し呼んでいた。

- - - -

末期ケアの現場というのは、とても過酷だ。

あんなに過酷な場であるにも関わらず、ケアワーカーは明るく元気に仕事をすることを期待されている。激しい感情労働だと思う。このケアワーカー達のふるまいに、患者や家族は、ほんの少し気を紛らわすことができる。

おそらく、ケアワーカー自身も、あえて空気をよまないようにしているのではないか。現場の空気をよみすぎると、とてもじゃないけれど精神がもたないのではないか。空気をよまないことで、正気を保ったり自分を鼓舞したりしているのではないか。

私の母は、長く介護の現場で働いてきた。母も空気をよまない人で、時々、場違いなことを言って空気を凍らせる。母のことは嫌いではないけれど、少し変わった人だと思っていた。

でも、あの病室で母は確実に役にたっていた。
母はするべきことをきちんとしていた。
最後まで弱音をはかなかったおばでさえも、うちの母には頼みごとをしやすかったようで、夜中に「あれをしてほしい」「ここをさすってほしい」と言っていたらしい。

私は、ちゃんと私の家族を看取ることができるんだろうか。
空気に流されずに、自分を鼓舞して、家族をケアすることができるんだろうか。
死生観、ケアのあり方、介護職の役割についてなど、いろいろと頭の中をめぐる。
私は信念にのっとって行動する。私は行為に重きを置く。実効性のある行動をとりたいと思う。

- - - -

安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美 (SYNODOS JOURNAL)

| | コメント (0)

2012年11月 9日 (金)

神戸は特別な街だと思う

少し前に、神戸の中心部の商店街の方にヒアリング調査に行った。その方は、商店街組織の長をされている方なのだけれど、とても話好きな方で、面白いお話をたくさんしてくださった。

調査の内容はここでは詳しく書けないのだが、ヒアリング調査の内容は、主に道と賑わいに関するもの。神戸市では、商店街とさまざまな協定を結んでいる。それらの協定は、商店街の方の意識が高いからうまくいっているということがよくわかった。儲けたいではなく賑わいを作りたい、神戸らしい素敵な商店街にしたいという姿勢がすごくよかった。

ルミナリエについても話をうかがった。ルミナリエは、阪神大震災の鎮魂のために始まったもので、毎年たくさんの方が訪れている。だが、交通警備が強すぎて誘導経路から外れることができないため、ルミナリエだけ見て神戸の街をまったく見ないで帰っていってしまう人も多いらしい。神戸は散策するのが楽しい街なのに、ルミナリエを見るためだけに観光バスで乗り付けてきて、街をみないで帰ってしまうのは神戸の楽しさを分かっていない。そういうイベントの開催の仕方や観光客の姿勢は、街を廃らせてしまう。

お話してくれた方は家具屋さんを経営されていて、本業のお話も興味深かった。元々、居留地に住んでいた外国人の家具の修理から始まったお店らしく、創業から140年がたっている。輸入家具ではなく、すべて国内の木材を使った国産の家具で、洋風の家具なのに日本人の生活に調和している。神戸にはここの家具のファンが多いらしく、嫁入り道具をここで揃えるのは自慢になるのだとか。

どの家具も素敵だったのだけど、オーダーメイドの椅子が特に魅力的だった。日本では、椅子というと、応接間の椅子のように誰でも座ることができる椅子ばかりが作られてきていて、ある個人しか使わない椅子は ほとんど作られてこなかった。ここ10年くらい、個人のための椅子にニーズが出てきたらしい。特に、身体の小さな女の人が楽な姿勢で読書をするような椅子に対するニーズが大きいらしい。サンプルとして置いてあるものに座らせていただいたのだが、座面が程よい固さで、背もたれもふんわりしているし、肘掛けには窪みがあって、座りやすかった。これが自分のサイズにあったものだったらさらに座りやすくなるんだろう。

今回の調査で、神戸は、他の街と違って、西洋文化がこなれた形で根付いている街だというのを改めて感じた。

- - - -

神戸は素敵な街だ。異人館をはじめ洋風建築が似合う街。パン、洋菓子をはじめ洋風料理が美味しい街。六甲山がすぐそこに迫っているため坂が多く、魅力的な景観を作っている。神戸はファッションの街でもある。私は大学生の頃神戸の古着屋に何度か行った。アメ村とかに比べるときれい目の上品な古着が多くて大好きだった。女子高生の持ち歩くファミリアの手提げ鞄、フリルなどをふんだんに使ったフェミニンなファッションの女子大生たちなど神戸独特のファッションを見るのも好きだ。神戸の人たちの「神戸大好き!」という地元愛も羨ましい。

神戸の魅力を感じることができる漫画として、「神戸在住」という漫画がある。昨年、友人に紹介されて読んだ。

この漫画は、神戸の美大に通う女子大生の桂が主人公で、彼女の日常生活を通して神戸の都市としての魅力が描かれている。

桂はもともとは東京の育ちで、大学入学と同時に神戸にきた。桂の神戸に対する視線はとても繊細だ。その繊細さは、次のような台詞の中によく表れていると思う。"ふるさとは東京。我が家は神戸" "街の空気に馴染むという事は そこに幸せな人間関係を作る事なのかもしれない"

桂は毒がない"良い子"なので、基本的に話はまったりとすすんでいく。それでも、何でもない日常に、阪神大震災は影を落としている。神戸は阪神大震災をふまえないと語れない土地だというのに、たびたび気づかされる。

3巻は、林君の避難所ボランティアの話。災害ボランティアというのが、当時は一般的ではなかった。個人の裁量に多くのことが任され、役所の対応は後手後手にまわっていた。漫画でこの手のことを描かれるのは稀だと思う。たんたんとした筆致で、しろっぽいあっさりとした絵で描かれている。

私もこの主人公と同じように、阪神大震災の後に関西にきた。当事者じゃない私は震災について語るべきじゃなかったし、神戸の人達に震災について話題をふることは怖くてできなかった。

私は、神戸に対してずっと距離をとってきた。それは阪神大震災や災害復興とも距離をとってきたということでもある。東日本大震災にとはさらに距離がある。災害にどう対峙するのかというのは、私の仕事や研究においても、私的な領域においても、重要な課題になってきている。今後、よくよく考えていきたい。

| | コメント (0)

2012年10月27日 (土)

猫の視点

 ランドスケール・ブック 地上へのまなざし 現代建築家コンセプト・シリーズ 12(石川初著、LIXIL出版)を読んだ。 建築や土木とは異なるランドスケープならではの街の見方。広域の視点を持ち込むと、地図や街がこんなに魅力的にみえてくるのかと目から鱗が落ちた。 猫ログ、上水道網は道路網のようで下水道は地形に沿っている、時層写真などなど、様々な発見があり刺激的だった。

 上下水道のネットワークがどうなっているかなんて、考えたことなかったなあ。学部生の時に、上下水道について授業を受けたはずなんだけど(>_<) 合流式、雨水と汚水を分ける分流式があって、分流式の方が水質保全の面でメリットがあるけれど、日本の都市部は合流式が多いんだよ、とかぐらい。

 なかでも、猫ログによる知見は、猫好きのまち歩き人にとっては、大変興味深いものだと思われる。
最近、小型で軽量なGPS受信機やビデオカメラを購入したため、猫の首にそれらを取り付けて見た。 描かれた軌跡マップはちょっとした衝撃だった。 まず、想像していた以上に広範囲を、かなり高速に動き回っていることがわかった。 また、猫には高さ1m程度の境界フェンスはまったく行動の障害とはならず、むしろブロック塀等は「動線」となっていることがわかった。 猫の軌跡をヒトとの軌跡と重ねて表示してみると、ヒトの行動がいかに敷地境界や道路の配置と言った社会制度に沿ったものであるかが浮かび上がる。 一方、猫の「自由さ」にも、ある決まったテリトリーの輪郭や、横断しにくい道路のような、ネコなりの「制約」があるらしいこともわかった。 (
 

ランドスケール・ブック(石川初著、LIXIL出版))

 ああ、面白いなあ。猫から見えている町と、人から見えている町は、まったく違っているんだろうなあ。
 猫の視点といえば、「私は猫ストーカー」は、猫の視点から街をみる映画。
 ロケ地は谷根千あたりらしく、猫の目線からみた下町の魅力が伝わってくる。
 公式サイトの猫ストーカーの心得は、必読。
私は猫ストーカー <予告編>
I
<公式サイト> http://nekostalker.jp/

| | コメント (0)

2012年10月20日 (土)

積み重ならないものの大切さ

1350350983313.jpg

家事を疎かにする自分が嫌いだった。

でも、今は、まだ病気が完全に治ったわけではないのだから、仕方がないと諦めることにしている。

病気になる前は、今よりももう少しまともに家事をしていたが、それでも、私の母がしていたものよりも合理化、簡易化したものだった。

今、家事は、ヴァナキュラーな仕事ではなくなりつつある。

それでも、職場の仕事や研究よりも生活の本質に近いように感じていた。

知り合いの先生が、世の中には2種類の仕事があると言っていた。

一つは積み重なる仕事、これは目標を決めてもくもくとこなすことが容易。研究やコンサルタントの業務などは、積み重なる仕事で、評価がしやすい。

もう一つは、積み重ならない仕事。マイナスのものをゼロに戻すような仕事は、評価されにくい。家事や掃除などはされていて当り前のように思われがち。

積み重ならない仕事を評価する人は少ない。でも、積み重ならない仕事にこそ本質があるのかもね。
(この手のことは、私が書くと当たり前のことすぎてつまらなくなるな)

私は、積み重なる仕事、積み重ならない仕事の両方をしたいと思っている。

多くを望みすぎなのかもしれないけれど、ぼちぼちとがんばりましょうぞ。

| | コメント (0)

2012年10月19日 (金)

大人になりましょう。ね。大人になりましょうよ

0ba7fbc5585b4b1081b06a20bde3c58e

私の前歯の横の歯は、乳歯のまま。

歯医者で見てもらったのだが、永久歯には生え変わらないので、乳歯のまま大事にしないといけないと言われた。他の乳歯は、外に投げてしまったので紛失しまったが、前歯の横の歯はずっとここにある。

ネオテニーみたいで、ちょっと嫌だ(>_<)

- - - - -

子どもが二人できて、三十代も半ばになり、傷跡も治りにくくなり*、少し前には生まれ初めて自分の頭の中に白髪を発見した。体重も減りにくい。笑うと目尻にしわがよる。

年を確実にとっているのだから、身体が衰えていくのは仕方がない。身体を鍛えたりして、少し抗わないといけないとは思う。

このように、私の身体は着々と老化しているのだが、私はいまだに大学生と間違われる。まあ、いまだに大学には(仕事で)通っているし、2年半前までは、学生という身分を持っていたのだけど、そういう状態のことではなく、私がモラトリアムな空気感を身にまとっているということだろうと思う。

初対面の方とひとしきりお話した後に、「t80935さんは学生さんだよね?」とかなんて聞かれたことがある。「10年前はこうだった」という話をすると、「そんなん中学生くらいでしょ。よく知っているね」なんて言われたこともある。

なんか、私、落ち着いてへんのよな。喋り方もたどたどしいし。ほんまに恥ずかしい(;_;) 大学卒業後の10数年間を、私はちゃんと積み重ねて来なかったのかとがっかりする。

- - - - -

ぼーっとしていると、私は一日中、遊んでくらすのが性に合っているんじゃないかと思う。。

赤まんまの花や露草、金木犀の落ちた花なんかを集めて、おままごとの材料にしたい。

橋の上から川に棒を何本か落として、どれが早く流れていくのかを競いたい。

雲が流れていくのを眺めながら、動物や食べ物に似ているとか形遊びをしたい。

野良猫を追いかけて、息をひそめて細い路地を歩き回りたい。

- - - - -

子どもの頃、大人になるのが想像できなかったけれど、老女になるのなら想像できるような気がしていた。朝起きて、ご飯食べて、のんびり過ごしていたら夕方になって、一日が終わるんでしょうって。延々と続く夏休みのようで魅力的に思っていた。

大人になるのが怖かったから、年を重ねれば、勝手に大人になるんだと思いこんでいた。二十歳を過ぎたあたりから、大人の年齢になっただけでは大人になれないというのには薄々気づいていた。でも、どうすればいいかわからなくて、大人になることに対して、目を瞑ってすすんできてしまったように思う。

んー。なんというか、幼い自分を押さえ込もう、切り捨てようとすると、かえってうまくいかなかったりもするのだけれど。大人になるということをもうちょっと意識したいなあ、改めて思ったりしている。

「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ」。不惑の年の頃には、「おかしいなあ、もういい年なのに、まだ大人になっていない(>_<)」とがっかりしないですむようにしたいと切実に思う。

- - - - -

*去年、キックボードに乗っていた時に、顔からこけるという、最悪な転び方をした。その後、1ヶ月以上顔半分が内出血で青くなっていた。その間は、道行く人にぎょっとされるので、ずっとサングラスとマスクをかけて過ごしていた。内出血が収まった後も、傷跡がずっと残っていたのだが、半年ぐらいたってやっと跡形もなく傷がなくなった。

続きを読む "大人になりましょう。ね。大人になりましょうよ"

| | コメント (2)

リスタートの報告

来年度からRPDに採用されることになりました☆彡

RPDとは、日本学術振興会の特別研究員制度の一つで「若手研究者が、出産・育児による研究中断後に円滑に研究現場に復帰できるように支援する」というもの。

これで、来年度から、3年間、研究に専念できます。


私って、どうしてこんなに運がいいんだろう。幸せだ。

-----

中学生の頃、数学で、マイナスの数にマイナスを掛け合わせるとプラスになるというのが、不思議でたまりませんでした。


実感に全然合わへんやないかと。

でも、年をとると、時々、マイナスの数にマイナスをかけるように、自分のもっているマイナスのカードがぱあっとプラスに変わるような経験が増えてきました。

今回のRPDに選ばれたことも、そんな感じです。

RPDは、他の特別研究員と比べて対象者が限られることと制度がまだできて間もないことから、この広大なインターネット上にも体験記が少ないようです。


ですので、また、折をみて、申請書を書く際に気をつけた点、面接の準備、面接での質問内容などをまとめたいと思っています。

とりあえず、報告まで。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧